In Loving Memory Of
先月、友人を亡くしました。
時に兄貴のように、時に親父のように。
サイパンにおける家族のように慕っていた。
まだ50歳という若さでした。
病気を患っていた事はいつも心配事でした。
僕がこの島に来た時。
空港に降り立ち外に出ると、迎えに来てくれていたのが彼でした。
英語が全く話せない僕に、右も左もわからない僕に、わかりやすい英語でいろいろと説明してくれた。
とても親切に。
この島で最初に知り合った人。
島のことも色々と教わりました。
いつも笑っていました。
それもとても大きな声で。
自炊しない僕は毎朝、職場のすぐ横のマクドナルドでブレックファーストメニューを。
そんな状況を見ていた彼は、ある時から朝食を作ってくれるように。
どのメニューもとても美味しかった。
仕事上では意見の対立から喧嘩した事もあったけど、それも薬の副作用から来てる事も感じてた。
そんな薬を彼は途中から飲まなくなってた。
きっと短くとも楽しい人生を全うしようと決めたんだと思う。
毎週水曜日には彼のファミリーの家でBBQとビリヤード。
サンセットの綺麗な場所で笑顔だらけの時間。
彼はチキンウイングを得意気に作ってた。
それは誰もが笑顔になる美味しさでした。
もうあの笑い声は聞けません。
あのチキンウイングは食べれません。
彼も僕と同じフォトグラファー。
島の観光では彼は一番多くの人を撮影してた。
何万人の旅行者を撮影したんだろう。
あの飛び切りの笑顔と大きな声と陽気なアイランダー気質で。
職場が別れた後も僕らの付き合いは変わらなかった。
そして突然の別れ。
大勢の人が参加したお葬式では元同僚のフォトグラファーが泣きながらも撮影。
写真が大好きだった彼。
そんな彼の意思を継いで欲しいと息子、娘からのオファー。
スタジオごと引き継いで欲しいと。
でもそれは僕には重過ぎると、辞退。
一部撮影機材は僕が引き継ぎました。
それは魂を引き継いだように感じました。
今回、たくさん泣きました。
でも彼はいつも笑ってた人。
泣いていたら怒られちゃうと思い、頑張った。
でもやっぱり悲しい気持ちが、さびしい気持ちが出てきちゃう。
そんな心境でも撮影のお仕事はやって来る。
イベントもあったり、友人からのお誘いもあったり。
それでも今回はとても引きずりました。
正直、先月から今月あたまくらいまで。
自分でも信じられない。
こんな気持ちははじめてだったから。
そう思うとやっぱり家族だったんだなぁ~としみじみしたりして余計にさみしくなったり。
このブログを書いている今も目がうるうるしちゃう。
でもきっと彼はそんな僕を見て、笑ってるはず。
だから、文章に書くことで、けじめをつけよう。
ありがとう、ジョー。
あなたに逢えてよかった。
一緒の時を過ごせて光栄だった。
これからも見守ってて、なんて言わなくても見てくれてると思う。
怠けてたら叱ってね、なんて言わなくてもそうするでしょ。
In Loving Memory Of Joseph
このことをブログに書こうかは迷いました。
でも、見てくれている人の中にも彼の事を知っている元島在住や日本からのお客様が多くいるので書きました。
乱文でごめんなさい。言葉足らずな所もあると思います。でも心に正直に書きました。
理解していただけると嬉しいです。